Tuesday, 29 May 2012

モスクワ・ペトロフカ通りアエロフロートのオフィス

プーシキンスカヤ駅から雪道を歩いて行った。ペトロフカ通り20番地にアエロフロートの事務所があった。

英語を話しますかと最初に尋ねたら「ニェット!」と返答だった。

月曜日から土曜日9:00-20:30
日曜日 9:00-16:30

Aeroflot Ticketing Office
Petrovka Str., 20/1
http://www.aeroflot.ru/cms/en/about/office_moscow


Monday, 28 May 2012

アルメニアのミネラルウォーター

グルジアのボルジョミ(Borjomi)ほど名が売れていないがアルメニアにも美味しいミネラルウォーターがある。

私が好んで飲んでいたのが「Arzni」だ、緑のボトルに入っている。もうひとつは、「Jermuk」、こちらのがメジャーかもしれない。土地の名前なので保養地としても名が知られている。ソ連時代はサナトリウムがあり、現在はSPAと称している。

温泉があると聞いているが、どの程度の温度なのかは未確認だ。


Arzni
http://www.arzni.com/?com=module&module=static&id=42

Jermuk
http://www.jermukgroup.am/?lang=eng&cat=1

IKEAの組み立てサービスと組み立て君

(このトピックは一度まとめたのだが、なぜか途中で消えてしまった、それから書き直しているけどかなり時間がかかっている、それは意気消沈したことに起因している。)

既に引越しシーズンのピークは過ぎてしまったが、日本の住宅は家具なしが原則、引越しに伴い引越し先の状況により古い家具を廃棄したり、新たに家具を購入することになる。

昨今、IKEAの進出により、家具価格が低廉となり(ニトリ等もあるが)、消費者としてはありがたい。筆者は1980年代に北欧で体験してからのファンであり、IKEAが撤退し再進出するまでにアクタスが取り扱っていたので何点か購入したことがある。

2006年にIKEA船橋店のオープンで再進出となり、それからIKEA港北店がオープンした。ロンドンでもIKEAで世話になっていたのだが、店のつくりがまったく同じ、これは世界共通らしい。

IKEAは北欧調のシンプルなデザインでコストパフォーマンスが高いので今回はまとめて調達することにした。

IKEAの問題は、基本的に全て組み立て式ということ、それゆえに廉価なのだろうが、この組み立てにかなりの労力を要する。

素人だったら本棚一個程度ならば組み立てられるが、チェストとか部品が多いのはとても無理、それにIKEAの部材は合成材(正式には何と言うか不明、チップ状にして接着剤で固め化粧材を表面に張っている)なので非常に重い、それで組み立てと運搬サービスを探した。IKEAのサービスと外部サービスの「組み立て君」があった。

今回は事前情報からその「組み立て君」に買い物代行から組み立てまでを依頼した。

1.IKEAのサービス
ピックアップサービス 2990円
配送サービス:400kgまで9990円
組み立てサービス:代金の20%

2.組み立て君のサービス
IKEA買い物代行サービス:9万円以上は商品価格の10%
配送サービス:要見積もり、
組み立て代行サービス:代金の20%

買い物代行、組み立てパックもあるが、まとまれば「全部おまかせパック」がもっとも面倒がない。

今回はベッドマットレス、ベッドフレーム、チェスト、本棚、ワードローブ、デスク、チェア、TV台など総重量が7-800kg(組み立て担当者の弁)はあったと思う。また、組み立て時間は、二人体制で丸一日を要した。まったく素人が手が出せる内容ではないし、専用工具類を用意していてもこれだけ時間が掛かっているのだ。

IKEAのサービス
http://www.ikea.com/ms/ja_JP/customer_service/ikea_services/ikea_services.html

組み立て君
http://www.kumitatekun.com/index.html

Sunday, 27 May 2012

日本でのIKEA

IKEAは、2006年に船橋店がオープンしたことにより、日本へ再進出したことになる。1970年代に合弁事業としてIKEAが日本へ進出したが1986年に撤退している。

1980年代、北欧でIKEAに触れてからのファンであり、その時には日本にIKEAが進出していたとは知り得ていなかった。アクタスがIKEAの製品も販売していたので何点か購入したことがある程度だ。その他、ロンドンでIKEAを利用した。

再進出する際、価格設定について興味を持ってウオッチしていたが、他の国と同様だったので売れると感じた。

IKEAはスウェーデンで設立された会社であるが、現在の本社所在地はオランダのデルフト、従業員12万人の企業で店頭販売のみを行っている。

日本でのIKEA:

1974年 三井物産、湯川家具、東急百貨店がスウェーデンIKEAとの合弁会社であるイケア日本設立、神戸、船橋で店舗展開
1986年 スウェーデンIKEA撤退、イケア日本解散、構成会社がアクタスへ移行
2002年 スウェーデンIKEAがイケア・ジャパン設立、
2006年 IKEA船橋店オープン、
2006年 IKEA港北オープン(横浜市、9月15日)
2008年 IKEA神戸オープン
2008年 IKEA鶴浜(大阪)

2008年 IKEA弥富物流センター開設
2008年 IKEA新三郷オープン
2011年  IKEA仙台ミニショップオープン
2012年  IKEA福岡新宮オープン予定
2015年  IKEA立川

気になるな、Nikon D800とCanon 5D mark III

ニコンD800レビュー総ざらい:キヤノンEOS 5D Mark IIIと、どっちを選ぶべき?(動画あり)
http://www.gizmodo.jp/2012/04/_d800eos_5d_mark_iii.html

同時に類似製品が発売された。

Nikon D800とCanon 5D Mark III、いずれもD700と5D Mark IIの後継機である。

5D Mark III
http://cweb.canon.jp/camera/5dmark3/index.html

Nikon D800はD700よりも優れもの、しかし、Canon 5D Mark IIIとの比較ではどうか?

元々Nikonの一眼レフを使ってきたのでNikonを使い続けている。しかし、デジタル化の進展でCanonにも目がいくようになったのだが、レンズ資産をどう考えるかで常に躊躇してきた。

デジタル一眼レフでは、D100、D300、D700、そして、現在の手持ちはD3となっている。

Canon 5D Mark III関連記事を読めば読むほど使ってみたくなる、無いもの強請りかもしれないが。レンタルで数日使ってから判断するという手もある。何れにしろ資金的な余裕次第だ。

Sunday, 20 May 2012

丸の内南口行き東98の東京国際フォーラム停留所

東京駅丸の内南口行き都バス「東98」の「東京国際フォーラム」のバス停は、三菱一号館美術館の横、 東京フォーラムからブロックが外れているので通りを渡らなければならないが、この季節なら許せる。

国際フォーラムの入り口から入るとアトリウムに弁当屋のトラックにそれぞれの長蛇の列、12時を回ったところだった。それぞれ凝ったトラック、弁当も各種ある。お値段も手頃だ。

80年代後半、米国に滞在しているとき、大学寮に横付けされているチャイニーズトラックでよく弁当を買っていたことを思い出した。
iPhone4の写真、ぼけてますね、暗いのかな。
  
東京国際フォーラムのトラック
 

高輪散策ー高輪から三田へ

高輪散策ー高輪消防署

下目黒にあった競馬場-第一回日本ダービー開催地

明治40年(1907年)、当時の東京市郊外、荏原郡目黒村下目黒(現在の目黒区下目黒4-6丁目辺り)に目黒競馬場が開設され、昭和8年(1933年)春に閉鎖され府中の東京競馬場へ移転するまでの26年間にわたり下目黒に競馬場があった。閉鎖される前年の昭和7年(1932年)4月24日には第一回日本ダービー(東京優駿大競争)がで目黒競馬場開催されている。

Youtubeに「第一回日本ダービー(東京優駿競争)」の動画があった、これは驚き。



写真:目黒競馬場-第1回日本ダービー優勝馬ワカタカ

東京競馬場で開催される「目黒記念」はこの目黒競馬場の名を後世に残すために1932年に創設されたもので、以来現在まで続く伝統のレースとなっている。

目黒競馬場は1907年(明治40年)12月、日本競馬会により東京府荏原郡下目黒村(現在の東京都目黒区下目黒)に設立されている。

1910年、東京近郊の日本競馬会、東京競馬会、川崎競馬倶楽部、東京ジョッケークラブの4つの競馬倶楽部が合併したのに伴い主催者が東京競馬倶楽部に移行した。

同年春季からはそれまで池上競馬場で施行されていた帝室御賞典の開催が始まり、翌1911年からは当時の選手権競走ともいえる優勝内国産馬連合競走が創設された。

目黒競馬場は、敷地が約6万坪、その大部分が借地であった。近隣の宅地化の進展による地価高騰と借地料の値上げ要求など拡張が限界となっていたことや、競走馬の飲料用水確保が困難さから存続が難しい状態にあり、更に議員から目黒町の発展を妨げると非難をされるようになど、目黒競馬場は存続自体が難しい状況に追い込まれていった。

諸問題が山積する中、競馬場側は移転を行うしか解決するための方法は無いと決断、

1932年(昭和7年)には近代競馬の基幹競走となる記念すべき第一回日本ダービー(東京優駿大競争)が開催されたが、翌1933年(昭和8年)春季開催を最後に目黒競馬場での開催は終了し、競馬場が廃止され、同年秋に完成していた北多摩郡府中町(現・府中市)の東京競馬場へその役割が移転した。

東京競馬場で開催される「目黒記念」は目黒競馬場の名を後世に残すために1932年に創設されたもので、以来現在まで続く伝統のレースとなっている。

競馬場が移転した後、この地がどうなったのかは明確な説明が見つからないので定かではないが、当時の航空写真などから市街化、つまり住宅地として都市化が進展したことが窺える。3年後の昭和11年、既に住宅が建ち始めているが競馬場の敷地形状を色濃く残しているのが航空写真より読み取れる。

写真:目黒競馬場昭和11年(1936年)

太平洋戦争後は、 都心からの転居が多く、また、企業の社宅用地として取得されたことが現在の地図から類推すると事が出来る。

用途地域指定が第1種低層住宅地域のため、基本的に高さ10mまでの住宅しか建設できないことから競馬場跡地は住宅地となっている。政府機関が所有していた土地が2000年代中頃、小泉政権の時代に国有地は民間へ払い下げられ、大企業所有地(社宅)はマンションや戸建て住宅として開発された。その他、社宅は現在もこの跡地に多い。

【最近開発された競馬場跡地の跡地】
国立教育政策研究所→マンション(住友不動産、175戸)
農林中央金庫社宅→戸建て住宅(三井不動産、49戸)
日本興業銀行社宅 →マンション(三菱地所、99戸)
写真:1999年の航空写真google

【競馬場跡地はコースの名残】
目黒競馬場ー昭和6年発行2万5千分の1

【目黒競馬場跡の記念碑】
東急バス、都営バスの東98系統に「元競馬場前」という名称の停留所がある。バス停から20mほど離れたところ、目黒通りの元競馬場という交差点に当時の大種牡馬トウルヌソルの銅像(La cafe Manieの前)がある。第1回日本ダービー優勝馬ではない。

この銅像は、第50回日本ダービーを記念して、日本中央競馬会と大鳥前元競馬場通り商店街振興組合の協力で1983年11月に建てられたものである。

La cafe Manie
http://www.le-cafemamie.com/


【競馬場の桜】

【元競馬場前、元競馬場通り、元競馬・・・】

「元競馬南泉公園」、農林中央金庫社宅跡地で進んでいる戸建て住宅開発地内にある公園。

目黒通り沿いの都バスのバス停「元競馬場前」、東98、渋72

目黒通り沿い、東急バスのバス停「元競馬場前」

下目黒5丁目のバス通りの通り「元競馬場通り」
【参考資料】
目黒競馬場(目黒区役所)

Friday, 18 May 2012

目黒区の町名(行政地区名)の変遷と東京23区への道程

昭和7年(1932年)10月1日、荏原郡目黒町と碑衾町(ひぶすままち)の区域をもって目黒区が成立した。

それまでは、武蔵国荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村、碑文谷村、衾村の6村があり、荏原郡の区域は、現在の品川区、大田区、目黒区のほぼ全域と世田谷区の一部に相当する。

明治2年から4年(1869-1871年)までは、荏原郡は品川県に属していた(三田村のみ東京府に所属)。

明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施され、同年11月(1872年1月)、東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新東京府が設置さた。荏原郡の区域は東京府に属することとなり、府内は6大区・97小区に分けられた(大区小区制)。

明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、改めて11大区・103小区が設置された。後に目黒区となる区域は、このうちの第7大区第1、5、6小区に属していた。

明治11年(1878年)11月2日、郡区町村編制法の施行に伴い大区小区制が廃止され、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に目黒区となる区域は荏原郡に属していた。

明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区)が成立し、府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。このうち荏原郡に属していたのは1町(品川町)18村で、現在の目黒区の区域に該当するのは目黒村と碑衾村であった。

明治22年、目黒村は三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村が合併して成立した。
明治22年、碑衾村(ひぶすまむら)が碑文谷村と衾村が合併して成立した。

明治29年(1896年)、南豊島郡と東多摩郡が合併して豊多摩郡となる。

大正11年(1922年)に町制が施行され目黒村が目黒町となる。

昭和2年(1927年)に町制が施行され碑衾村が碑衾町(ひぶすままち)となる。

昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡)を編入し、大東京市が成立した。

編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区(麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川、現在の千代田区、中央区、港区、新宿区(一部)、文京区、台東区、墨田区(一部)、江東区(一部))と合わせ、35区から構成された。

昭和7年(1932年)、目黒町と碑衾町の区域をもって目黒区が新設された。【冒頭の通り】

昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に整理統合され、同年8月1日、板橋区から練馬区が分離して23区となった。(昭和22年3月10日、東京都告諭第1号)。
同年、公布制定された地方自治法によって各区が特別地方公共団体(特別区)になった。

昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止され、新たに東京都が設置された。この時、目黒区を含む35区は東京都直轄の区となった。

昭和42年(1967年3月1日)、住居表示が実施され、目黒区下目黒一~四丁目(旧目黒村下目黒(1932年))が目黒1~4丁目、下目黒1~6丁目、中町1丁目、三田2丁目となった。

大東京35区物語~15区から23区へ~東京23区の歴史
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0714tokyo_ku.htm

東京都公文書館
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/index.htm

Wednesday, 16 May 2012

目黒新橋

目黒新橋をランチに出た序でに見てきた。 目黒新橋とは、目黒川に架かる目黒通りの橋のこと。

江戸初期(延宝年間)より現在の位置に橋があったそうだ。昭和8年(1933年)、都市計画道路(都道312号線・目黒通り)の拡幅に伴い、目黒川(二級河川・目黒川水系本流)に架かるコンクリートア-チ橋として架け換えられた。

平成8年、橋の原形復元を試み現在の目黒新橋となっている。目黒新橋は東京都の著名橋に指定されている。

アーチがあまり良く見えていない、悪しからず。 写真右は、目黒新橋から中目黒方面を望む。正面が中目黒アトラスタワー、煙突は目黒清掃工場。

Wednesday, 9 May 2012

都バスの乗り継ぎ運賃

90分以内ならば100円で乗り継げる。ゾーン制なれど料金は徴収される。
こういう考え方は欧州とは異なるようだ。
例えば、ロンドンの場合、ロンドンの交通機関であれば全て追加料金なしで乗り継げる。制限時間はあったはず。

以前は乗り継ぎカードがあったが2010年に廃止された。スイカやPASMO等のICカード乗車券が普及したからだ。だから、ICカード乗車券で支払った場合、次の乗り継ぎで100円の割引が適用され、乗り継ぎ乗車料金100円を支払うことになる。

3回目の乗り継ぎは、100%の200円の料金となる。
乗り継ぎ料金に関して都バスのサイトには明確な説明が見つからなかった。割引運賃の中で乗り継ぎについては触れられているが。

3回乗り継ぐと500円となり、都バスの一日乗車券があったが見当たらない。
都営の一日乗車券が700円なので4回乗れば元が取れる計算となる。
(都営地下鉄、都バス(多摩地域を含む)、都電荒川線、日暮里・舎人ライナーを1日に限り何回でもご乗車いただけます)
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/fare/otoku_marugoto.html

東京の公共交通は都営だけではない、東京メトロがあるし、私鉄もある。統合した一日乗車券は夢のまた夢なのだろうか。ヨーロッパの主要都市を引き合いに出すと、既に80年代前半には一日共通乗車券があった。筆者はその恩恵に預かっている。

Tuesday, 8 May 2012

大石良雄等自刀の跡ー高輪

高輪から三田へ尾根伝いに歩いて行くと巨大なアパート群が左側の視野に入る。公営住宅のような印象だと思い地図を確かめると高輪一丁目アパートとある。通りに沿ってしばらく歩くと「大石良雄等自刃ノ跡」という小さな道標が目に入った。

そう、ここが赤穂浪士の大石良雄(内蔵助)他16名が切腹したかつての肥後熊本藩江戸下屋敷の敷地なのだ。アパートの敷地反対側に「大石良雄外十六人忠烈の跡」がある。

Sunday, 6 May 2012

NTTの「施設設置負担金は割安な基本料金なので返還しません」

NTTの加入権(施設負担金)と債権の違いとは?

紛らわしいが当初は電信電話債券と施設負担金があった。電信電話債券は昭和58年3月に廃止され、施設負担金は継続されている。その時点で72,000円。一般的に加入権称しているのが実は施設負担金であり、支払うことにより加入権が発生する性格であり、譲渡が可能となっている。しかし債権ではない。

よって債権であれば償還期限になると額面の金額が償還されるが、加入権と称している施設負担金は譲渡は可能であるが償還されない性格の一方通行の負担金である。

加入電話の施設設置負担金の変遷
http://www.ntt-east.co.jp/release/0411/041105b_03.html

施設設置負担金に関するNTTの言い分:
「月々の基本料を割安な水準に設定することでお客さまに還元させていただいており、解約時等にも返還いたしておりません。」

施設負担金は必ず支払う必要があるか?

電話回線の新設を申し込む際にNTT東日本・NTT西日本に「施設設置負担金」を支払わないと電話を敷設してもらえないのだ。

その「施設設置負担金」が、平成17年3月1日よりこれまでの72,000円から半額の36,000円に値下げされた。

それまで 72,000円(税込75,600円)
36,000円(税込37,800円)平成17年3月1日より

施設設置負担金についてのご説明
http://www.ntt-east.co.jp/info/detail/041105_01.html

未だに、50%割引されたという施設設置負担金税込37,800円を支払わないと電話が設置できない。殿様の典型的なビジネスモデルだ。ただ言い訳としてなのか、「施設設置負担金」を支払わなくても電話が設置できるプランが用意されている。しかし、その分が基本料金に上乗せされているだけなので何ら変わってはいない。

このプラン、毎月250円を追加することでその負担金を無しとしている。

ライトプランの基本料加算額の料金設定の考え方
http://www.ntt-east.co.jp/release/0411/041105b_07.html

先進諸国でこんな設備投資資金まで徴収して基本料金も通信料金も世界一高いと言われる料金体系は聞いたことが無い、しかしこれが現実なのだ。

72000円で買った加入権、最近は50%オフの36000円、その目減りはどうしてくれるんだ?といったところで、親方日の丸、民間になっても独占企業がそんなことはお構いなし、現実主義で世の中は考えなくてはならない典型的な例だ。





Saturday, 5 May 2012

元競馬場前界隈の目黒通り

目黒通り沿い、元競馬場前界隈で気になったところ。全て目黒通りの北側(住所でいうと目黒4丁目)だ。

1.手打ちそば ゆふ徳
伝統的な町家建築のデフォルメデザイン、建築の質と手打ちそばの質のバランスが取れている。Wallpaper City Guide 東京版に掲載されていることから外国人の客も多い。元競馬場交差点角から祐天寺方面2件目、うなぎやの隣。 
http://www.yutoku-soba.co.jp/

2.レストラン はしもと
目黒通り沿いの洋食屋。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1317/A131710/13088978/

3.地蔵通り商店街(油面)
シャッター通り状態で元気がなさそうだが、レトロチックな散髪屋、古本屋、酒屋、ベーカリー、小料理屋等は現役だ、途中に油面小学校がある。銭湯も2軒健在だ。
http://www.h7.dion.ne.jp/~aburamen/index.html

4.東京バレエ団
チャイコフスキー記念東京バレエ団という1964年に創設されたバレエ団が目黒通り沿いにある。1966年にはソヴィエト政府に招かれ、モスクワとレニングラードで公演し「チャイコフスキー記念」の名称を贈られている。
モーリス・ペジャール、イリ・キリアン、ジョン・ノイマイヤー等の振付家が東京バレエ団の作品を振付けている。 仮名手本忠臣蔵を題材にしたペジャールの「ザ・カブキ」は国内外で成功を収めている。
http://thetokyoballet.com/

1.手打ちそば ゆふ徳


2.レストラン はしもと

3.地蔵通り商店街(油面)

4.東京バレエ団