Tuesday 3 January 2012

吉田松陰が山田顕義へ贈った扇に書かれた詩

立志尚特異 (立志は特異をとうとぶ)
俗流與議難 (俗流はともに議し難し)
不思身後業 (身後の業を思はず)
且偸目前安 (且つ目前の安きをぬすむ)
百年一瞬耳 (百年は一瞬のみ)
君子勿素餐 (君子素餐するなかれ)

志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように

この詩は、吉田松陰が当時14歳の塾生 山田顕義に扇に書いて贈った詩である。その約1年後、松陰はこれまでの討幕計画により先ず藩により投獄され、後に幕府により江戸へ移されの安政6年(1859年)10月27日に斬首刑に処せられている、享年30歳。

山田顕義は、山田顕義は岩倉使節団に理事官として参加、明治維新で活躍、その後は大村益次郎の後継者として、病床の大村より日本近代軍制の創設について指示を受け、1兵部少輔久我通久と連署で大村の遺策をまとめた『兵部省軍務ノ大綱』を太政官に提出する。大村の継承者として大坂を中心とした兵部省確立に尽力した。第一次伊藤内閣では、司法大臣となっている。日本のナポレオンとも呼ばれている。

山田顕義は、日本の国情に合った法学の樹立を目指しながら、後の大日本帝国憲法起草者金子堅太郎や当時の帝国大学法科大学の総代宮崎道三郎を筆頭とする法学者11名と共に、1889年(明治22年)、皇典講究所内に日本法律学校、後の日本大学、を創設している。

日本大学では、山田顕義を学祖として位置付けているが、昨今の日大の低迷は、この歴史に恥ずかしいと認識しなければならないだろう。

吉田松陰
http://www.yoshida-shoin.com/

日本大学の学祖・山田顕義
http://www.yoshida-shoin.com/monka/yamda.html

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